My Life Story 第2章

自分らしさの封印と解放

熱血漢から真逆な(表面上)性格に

小学3年生の頃から学級委員を毎年していたので前に出て何かをすることは普通のことでした。
 
中学1年生のある時、クラスで司会をやっていた時のことです。
 
急にこちらを見ているみんなとの距離感が開いている感じがした瞬間に
 
(今までの私と同じではダメだ)という感覚が起こりました。
 
それまでリーダー的でどちらかといえば熱血感だった私が一変
 
急に斜に構えて物事を見るような心境になってしまったのです
 
(これは大人になりヒプノセラピーを受けて思い出しました)。
 
表に出せない(出さなくなった)唯一自分の内面を表現できるのは部活をしている時だけでした。
 

鎖骨骨折

中学校1年生の3学期が始まってすぐの頃。
 
体育の授業で倒立前転をやりました。
 
自分の番になり逆立ちをしながら(体を丸めるタイミングがわからないな・・・)と
 
思った瞬間「バキッ!」とものすごい音がして体が崩れ落ちました。
 
一瞬自分でも何が起こったのかわからなかったのですが、左腕がブラブラしていたので
 
骨折したと気づきました(左の鎖骨骨折と腕の骨が半分脱臼していた)。
 
担任の先生の付き添いで帰宅するときに「泣いていないけど痛くないの?」と聞かれたのです。
 
(痛くないわけないでしょう・・・笑)「泣いても痛みは治りません」と
 
言った発言に先生は驚いたそうで、本当のことを言っただけなのにとそんな先生を不思議に感じる私でした。
 

自分史上、最高に幸せだった自分らしさを表現できた部活動

中学2年生のクラスは放課後になると、同学年の「ヤンチャ」な男子が集まり
 
友達と喋ったりできるような雰囲気ではなく・・・。
 
必然的に部活(軟式テニス)に早く行っていました。
 
私は中学入学時に部活を決める際、小学校3年の時の担任の先生に相談したことがあります。
 
候補はバレーボール、水泳(冬場に走るのは嫌だったので却下)
 
本当はソフトボールがあればやりたかったのですが、なかったので断念。
 
先生のアドバイスは「山口は気が強いから軟式テニスがいいと思う」でした(笑)。
 
確かに過去に全国大会に出場したこともあったようです。
 
話は前後しますが、先の鎖骨骨折により、ちょうどレギュラーを決める時期に私は家で
 
1ヶ月は寝たきりの療養中。ということで復帰したときには完全に出遅れていました。
 
でも自分がレギュラーになるのは当たり前と思い込んでいたので遅れは全く気にならなかったのです。
 
ある時、部活の友達が私に「部活はいつやめるの?(レギュラーは無理だよ)」と聞いてきました。
 
その友人は人数が減れば自分がレギュラーになれる可能性がある、と考えているのがわかりました。
 
それも私のやる気に火をつけてくれた一言でした。
 

補欠かレギュラーかのボーダーライン

部活に復帰できた頃にはレギュラーチームのメンバーはほぼ決まっていました。
 
レギュラーのAチーム、その次のB、その次のC・・・とEくらいまでグループがあったような記憶があります。
 
Aチームの中でも団体戦に参加できるのは3組プラス補欠1組。私は最初はBでした。
 
練習試合などや練習の様子などからそのうちAチームに入れるようになりました。が、もちろん補欠組。
 
試合の様子でレギュラーになれるかどうかなので、他校との練習試合では緊張しまくっていました。
 
1球打つごとに顧問の先生の動向が気になり、今思えば試合自体に集中できていなかったような気がします。
 
練習自体は楽しかったので、部活の時間はもちろんのこと、帰宅してからも
 
父に壁打ちの練習に連れて行ってもらったり、一人で練習ができる道具を使って
 
自主練習をしていました。それは試合の時(あれだけ練習したんだから大丈夫)と
 
いう自信にも繋がりました。
 

フロー体験

気がつくとボーダーラインを行き来するところから
 
安定してレギュラーでいられるようになりました。
 
その一方クラスでは中学生位になると授業中に指されて答えるという
 
雰囲気が当たり前になり、発言するのが大好きだった私も何となく空気を読み
 
(思春期はこんなものなのかも・・・)と先生が話す内容をただ覚えるという
 
授業を受けていました。
 
授業中に自分の考えを発言するという「自分らしさ」を発揮できず
 
どんどん授業はつまらなくなっていきました。
 
高校受験のため仕方なく聞いている、といった感じです。
 
一方、部活動では近県で全国1位になった高校との合宿などのハイレベルな練習に参加するなど
 
充実した時間を過ごしていました。今思えば練習中や試合の時などの没頭していた幸せな時間は
 
フロー状態だったのだと思います。この感覚になれれば幸せになれると思い込み
 
のちの天職探しでのキーワードになりました。
 

「関東大会に出られたらコンサートに行ってもいいよ」

私たちの代は県大会には出場しても、うまくいってベスト4位の実力だったと思います。

中学3年生として最後の大会の頃、好きなバンドがありコンサートに行きたいと思いました。

コンサートは8月下旬。その情報を知ったのは多分5月ごろだった記憶がありますが

「行きたい」と親に言うと「関東大会に出られたらね」と言われました。

出られるか出られないかのボーダーラインにいた私たちのチームです。

それまでも自分では練習熱心だという自負はありましたが

「コンサートのために絶対に関東大会に出る」と決めました。

結果は、個人チームでは地域の試合では優勝したものの、県大会は2回戦くらいで敗退(記憶が・・・)。

でも、団体戦で3位になり、関東大会に出場できたので晴れてコンサートを見にいくことができました。

教訓:無謀だと思われることでも信じて努力すれば叶う


もくじ

  1. 好きなファッションを選んで進学

 

 

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